生と死
平成6年8月次男は2週間遅れてこの世に生を受けました。
予定日を過ぎても産まれず陣痛促進剤を使って、ようやく産まれました。
自然分娩よりも苦しかったなって今でも覚えています。
3年後に三男が産まれる訳ですが、次男はアトピーもあり気管支喘息で入院したり、よく病院に通っていました。
可愛くて仕方なかったので我儘も許してしまったかもしれませんね。
欲しい物を買って貰えないと床にごろんと寝て泣き叫ぶような子供でした(笑)
私は次男が中学生の時に離婚し3人の子供を育ててきました。
そのせいか、気持ちが不安定で不登校ぎみの時もありました。
お父さんに会いたい
と不登校の時に話していたので三男を連れ会いにも行きました。
思春期時代は男の子のせいか、無口であまり話をしない、引っ込み思案な感じで、コミュケーションがちゃんととれているかと言われたら違うのかな。
後に見つかった遺書にあった
最後に中学以来会ってなかった父さんにも会いたかった
私は父親の代わりは出来なかった。
淋しさを埋めてあげる事は出来なかった。
本当は死を選んだのも幼少期の淋しさを引きづるきっかけになったんじゃないか…。
ごめんね。ごめんね。
私のせいで我慢させたね。
謝っても謝りきれない。
小さかった次男の写真は蔓延の笑みでピースサインをする姿がありました。