yutoのブログ

令和元年6月25日次男24歳が1人で逝ってしまいました。会いたくて仕方がない。でも会えない。私の息子が生きた証としてブログに残したいと思います。

どうして息子だったんだろう

よりによって

どうして私の息子だったんだろう

自死遺族になるなんて微塵も思ってなかった


日本の人口1億2693万人のうち自ら命を絶つ人は2万人らしい


私達のように暗い闇から抜け出せない遺族は何万人居るんだろう


近頃 思い返すのは息子が幼い頃の事ばかり


生まれてきてくれた日の事

息子に会った時

こんにちわって言った


夜中何回も起きておっぱいあげてた


気管支喘息になり病院に通う日も多かった

薬を飲んでくれなくてチョコレートを溶かして薬を混ぜたりカレーに入れたり…。

四苦八苦したなぁ


おっぱいがパンパンにはって乳腺炎にもなった

ヨチヨチ歩きの頃 転んでテーブルの角にぶつかって何針も目の上を縫ったり

病院にはお世話になった


なかなかオムツが取れなくて おしっこを漏らしてた

何回も洗濯してた日々


あの頃 子育ては大変だなと思っていた


でも…大変ながら家族仲良しで幸せだった

普通の日々が幸せだった

今更そう思う


普通の人生じゃなくなった…。

これは運命だったのだろうか

まさか うちの息子が死ぬなんて…。


生きていてくれるだけで良かったのに

そんな普通の日々を過ごすことが出来なくなった


生きてくって辛い


大切な人を亡くしてはじめて知った

こんなに辛い別れがあるなんて…。


不公平だな

無念だな


いつも亡くなった息子の顔がよぎり

止めどとなく涙が溢れる


息子は これまでの人生幸せだったのだろうか

私が母親で良かったのだろうか

ゆうとに聞きたい…。


私は息子の死を受け入れ子供の死と共存して生きるなんて まだ出来ない

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