yutoのブログ

令和元年6月25日次男24歳が1人で逝ってしまいました。会いたくて仕方がない。でも会えない。私の息子が生きた証としてブログに残したいと思います。

自撮りの息子の写真

警察署には葬儀社の方がみえてました。


1日葬儀社さんにお世話になり翌々日火葬する予定でした。


葬儀社さんに迎えに来ていただいて警察署をあとにしました。


息子の顔は穏やかで眠っている様でした。

幼い頃からアトピーがあったので痒かったのかかいた後が顔にあり少し傷ついてました。

髪にはワックスがついてあり身なりをちゃんとして旅立とうと思っていたのでしょうか…。


息子の亡骸を見ても亡くなった事に実感がわかないというか信じられない気持ち。


やらなければならない事が沢山あったので気が張っていたのでしょうか。

淡々としてたような記憶があります。


息子を葬儀社さんにお願いして私達3人はホテルに帰りました。


刑事さんから息子のiPhone、財布、カバンをもらいました。

練炭は警察で処分してくれるようにお願いしました。


息子は部屋にiPhoneのパスワードを遺していたと聞いていたので警察によって既にロック解除をされていました。


3人で次男のiPhoneを恐る恐る見ました。

(yutoごめんね)


アルバムには亡くなる3時間前の時刻が記載してある自撮りの写真数枚ありました。

息子の最後の姿でした。


笑顔はなく、何か言いたげなもの悲しい顔をして…。

中には淋しそうな顔をしている息子の顔もありました。

今もその写真を見ると辛くなります。


そして息子の後ろにはホームセンターで買った練炭の箱も映ってました。


練炭自殺も増えているのに、どうして簡単に若者が練炭なんか買えるんだろう!

行き場のない腹ただしい気持ち覚えてます。


写真を撮った亡くなる3時間前

この時間に戻れたなら、まだ決行を止められたのに…。

どうして、最後の力を振り絞って私に連絡してくれなかったんだろう。

私は、そんな親子関係を作ってしまったのか。

そんなに苦しんでいたなら最後の最後に頼って欲しかった。

死ぬ選択しかなかったのか。

後悔ばかりです。

ごめんね。



1人で淋しく逝くのは怖くなかったんだろうか…。

今も聞きたい。


刑事さんが言っていた

遺書は見つかってないと…。


でも三男が見つけたんです。



遺書がありました。

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