yutoのブログ

令和元年6月25日次男24歳が1人で逝ってしまいました。会いたくて仕方がない。でも会えない。私の息子が生きた証としてブログに残したいと思います。

最後のTwitterには…

ついてない時はほんとついてないや


23日最後にそう呟いてました。


その日何があったのか。


息子の上司に23日仕事にちょっとしたトラブルがあったと聞かされてました。


息子は飲食店で働いておりレジ締めもやってたそうです。

前日22日のレジのお金が2万足りない。

直ぐに上司に報告がなかった為に、次の日の23日、上司はかなり怒って咎めたと言ってました。


息子は

俺はお金取ってません。

サラ金からお金借りて返します。


そういう問題じゃなくて報告しなかったのが問題だから店長降格もあるかもしれないと息子に伝えたそうです。


わかりました。


と答えて24日の休みを迎え25日の朝自死しました。


本当のところはわかないけれど、お金に困った息子がレジからお金を取ってしまったのか…。


息子を迎えに行った時に、その上司とは何回か会いました。火葬にも来てくれました。


泣いてました。


上司を責める気もありませんでした。


警察に立ち会い、息子の亡くなった顔を確認してくれたのも、その上司でした。

ありがとうございました。


息子の死によって沢山の人を悲しませてしまったんだなと申し訳なく思います。

たぶん上司も、ああ言わなければ良かった、自分のせいで死ぬことになったんじゃないかと…。

思われているんじゃないかと思います。



転勤して2ヶ月、本音で話せる人達も出来なかった

来なければよかった


遺書に書いてましたが息子は孤独だったのかな。


これだけで死を選んだとは思えません。

色々な事が重なったんだろうと思います。


でも、でも人生はやり直しができる。

諦めて欲しくなかった。

生きて欲しかった。


この気持ちはずっとずっと変わりなく思い続けます。

息子の親友たちへ

息子の遺書の中に特定した友達へ感謝の気持ちが綴られてました。


その方には息子が亡くなった事を知らせなければならないと思い茨城に着いた日にLINEでお知らせしました。

遺書も送らせてもらいました。


高校からの同級生でした。


連絡をもらって、とても取り乱していました。Kちゃん、悲しませてごめんね。


最後に顔が見たい


火葬の日の朝、高校時代の3人のお友達が、遠方からわざわざ仕事を休んで来てくれました。


みんな目を真っ赤にして泣いてました。



後日親友達が息子に宛てたLINEには…



出会ってくれてありがとう


自分のことを話さないと知っていたのに親身になって相談にのってあげれなくて本当に悔しい


大切な友達なのに大切に出来ていなくてごめん

優しさに甘えて辛い思いして追い詰められたことも知らなくて本当にごめんなさい


辛さを理解してやる事出来なかった

きっと大変だったんだな


この選択肢しかなかったのか

踏ん張ってただひたすら頑張って疲れて

それから決めた覚悟だったんだと思う

少しぐらい相談してくれよ


みんなには優しいのに自分には優しくない

迷惑かけるからって何も言わない


それじゃ分からないよ

何で言ってくれなかったの?

なんで先に逝っちゃったの?

1人で逝かせて本当にごめん


死んだら悲しんでくれる人いるかな?じゃないよ


いるに決まってるだろ

肩を並べて一緒にこれから先の人生生きていたかった


亡くなった実感わかないし電話したらいつものゆっくりした喋り方で話してくれるような気がする


yutoの分まで強く生きるからな

幸せになってって言われたとおり幸せになれるかわからないけど頑張って長生きするね


そっちに行ったら高校の時帰りに2人で食べていたうどんまた一緒に食べような


大好きだよこれからも…。




Kちゃん、Aちゃん、Rちゃん、Yくん、Iくん

ありがとうございました。


深い悲しみと後悔の念を思い知らせてしま

って本当にごめんなさい。

お願いだから気付いてあげれなかったのは自分達のせいだと思わないでください。


息子が自分で覚悟して決めたことです。

短い人生だったけれど、君達に出会えて幸せ時間を過ごすことが出来たと思います。


ほんの少しでいいから息子の事覚えていてね。


自分の息子娘のような存在です。


iphoneの中のアルバムには6人で写した写真が沢山ありました。

お揃いのミニーちゃんの耳をつけて笑っているみんながいました。


火葬 永遠の別れ

火葬の前日、私と息子2人でアパートの片付けをした。


部屋は予想していたより綺麗だった。


テーブルには自殺を決行する日、最後に食べたマックのチキンナゲットの食べ残しと全部飲みきった催眠導入剤と3分の1飲んだお酒がおいてあった。


息子は亡くなる日この部屋で、どんな気持ちで過ごしたのだろうか。
練炭とチキンナゲットを買い、写真と遺書を遺し…。



亡くなった車のマットは練炭の熱さで焦げていてマットの下まで焼けていた。


発見された時、後部座席に布団をかけドアにもたれかかっていたようだ。


ひっそりと車の横で手を合わせた。


部屋の中ではなく車の中で自死したのは死んだ後に迷惑をかけないようにと考えたのだろうか…。


そんな気遣いするなら、死ぬ選択なんかしないでほしかったよ。


3人で車を洗車し車内も掃除機をかけて綺麗にした。


その後、車を廃車する為に車を引き渡ししてきた。


さよならyutoの愛車
魂は私達と一緒に帰ろうね



火葬の当日


最後に息子の頬を触り、耳元も触った。
耳たぶがカサカサしていて肉体は少しつづ壊死していくのが分かった。
もう息子の体を弔う時が来たのが分かった。


ゆうちゃん今までありがとう


御骨になったゆうちゃんを抱いて私達は帰路に着きました。