yutoのブログ

令和元年6月25日次男24歳が1人で逝ってしまいました。会いたくて仕方がない。でも会えない。私の息子が生きた証としてブログに残したいと思います。

31回目の月命日 どうしようもなく逢いたい

夢で逢いに来てくれる事が最近無くなってしまった


どうしようもなく逢いたい

生きていてくれるだけで良かった


逢いたい


逢いたい


あの日から2年7ヶ月

時間が経つにつれ悲しみも和らぐかと言われるけど

時間が経つにつれ悲しみは深く

助けてあげれなかった後悔と毎日 ゆうとの投影を追い続けてしまう


ゆうとにしてあげれなかった分

三男に執着してしまう


母さんうざいなって思われるとわかっていても

ゆうとに似ている仕草や声や顔


やっぱり重ねてしまう


いつまでも立ち直れないこの気持ち

そっと自分の中にしまっておこう


周りの人達には絶対に分からないんだから

息子が乗っていた同じ車が目の前に

何も変わらない年が明け

起きて仕事をしてご飯を食べて眠る


なんにも楽しくない

君のいないこの毎日が早く終わればいいな


勤務先の駐車場に車を停めた時

ふと前を見た瞬間 動けなくなった


あぁ…ゆうとが乗っていた同じ車だ…。

それから走馬灯のように色々な事を思い出した


一緒に車を契約しに行った

たまに送り迎えもしてくれた

タイヤ交換を手際よくやっていた姿


亡くなる1ヶ月前手を振り見送った光景

その1ヶ月後に愛車で亡くなっていた


廃車にする為に兄弟と私3人で

一生懸命に洗車と掃除をしてお別れをした


またあの日のことが鮮明に思い出されて

涙が溢れました


その時に流れていた曲

米津玄師さんのカナリヤ




ありふれた毎日が 懐かしくなるほど

くすぶり沈む夜に揺れる

花を見つめていた


人いきれの中を あなたと歩いたこと

振り向きざまに笑う顔を

何故か思い出した


いいよ あなただから いいよ

誰も二人のことを見つけないとしても

あなただから いいよ

歩いていこう 最後まで





少しづつ 皆の記憶からゆうとが薄れていこうとも

私の中では1番でいつも何時の日も

忘れることが出来ない


毎日笑顔でいれなくてごめんね

いつまでも弱い母さんでごめん


泣いていたら、ゆうとが悲しむとわかっていても

涙は枯れることがない

もっともっと一緒に居たかった

ゆうととたくさん話がしたかった


子供との別れが どんなに辛く悲しい事か

想像できなかった


抜け殻になった心

もう一度やり直したい

30回目の月命日

最愛の息子ゆうとに逢えなくなってから2年半


逢いたい気持ちはつのるばかり


月命日の25日はクリスマス


あなたが生まれてから毎年

クリスマスケーキを買って

大好きなハンバーグを作って

枕元にはプレゼントを置いた


次の日に

サンタさん来たーって

いつも早起きしないのに

早起きしてプレゼントをあけて嬉しがっていたね


今でも私の記憶にしっかりと残ってる

確かにゆうとは生きていたね


あの頃に戻れたらどんなに幸せかと

アルバムを見たらおどけた顔と笑顔ばかり

まさか こんな事になるなんて

想像も出来ないほどに笑っていた


今年も凄惨な事件や悲しいこと


放火殺人

一酸化炭素中毒でたくさんの方が亡くなりました


神田沙也加さん

ご両親がご遺骨を胸に心痛な姿


全てが ゆうとと重なり

また あの日の事のように思い出される


ちょっとしたワードで息子と紐付けてしまう

一酸化炭素中毒 苦しかっただろうね

小さな遺骨になってしまった あの日が鮮明に


忘れられない


どんなに色あせても

遠い記憶になってしまったとしても

私だけは絶対絶対に忘れない


早く君に逢いたい